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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)4041号 判決 1988年12月19日

原告

安山裕美

右法定代理人親権者母兼原告

安山都代子

原告

鶴田幸一

右原告ら三名訴訟代理人弁護士

弓仲忠昭

加藤芳文

鳴尾節夫

被告

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

半田良樹

中村光博

右訴訟代理人弁護士

石葉光信

被告

竹川清

右訴訟代理人弁護士

原山庫佳

長谷川健

高田利広

小海正勝

主文

一  被告竹川清は、原告安山裕美に対し、金一億一六七三万四〇五〇円並びに内金七八〇一万三七二九円に対する昭和五五年五月一八日から、残金三八七二万〇三二一円に対する昭和六三年三月三日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告竹川清は、原告安山都代子に対し、金三三〇万円及びこれに対する昭和五五年五月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告竹川清は、原告鶴田幸一に対し、金二二〇万円及びこれに対する昭和五五年五月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告らの被告竹川清に対するその余の請求及び被告東京都に対する請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用は、原告らと被告竹川清との間においては、原告らに生じた費用の五分の四を被告竹川清の負担とし、その余は各自の負担とし、原告らと被告東京都との間においては全部原告らの負担とする。

六  この判決は、第一項ないし第三項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告安山裕美に対し、各自金一億二二六〇万〇四五三円及び内金七八〇一万三七二九円に対する昭和五五年五月一八日から、内金四四五八万六七二四円に対する昭和六三年三月三日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、原告安山都代子に対し、各自金七七〇万円及び内金五五〇万円に対する昭和五五年五月一八日から、内金二二〇万円に対する昭和六三年三月三日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告らは、原告鶴田幸一に対し、各自金七七〇万円及び内金五五〇万円に対する昭和五五年五月一八日から、内金二二〇万円に対する昭和六三年三月三日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告竹川清)

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

(被告東京都)

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

3 担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告鶴田幸一と原告安山都代子とは昭和四九年三月一八日婚姻の届出をした夫婦であったが、昭和六二年一月二三日協議により離婚の届出をした。

原告安山(旧姓鶴田)裕美(以下「原告裕美」という。)は、昭和五二年一〇月一八日、原告鶴田幸一及び原告安山都代子の長女として出生した。

(二) 被告東京都は、昭和五三年二月以前から東京都墨田区江東橋四丁目二三番一五号において総合病院東京都立墨東病院(以下「都立墨東病院」という。)を設置・運営している。

(三) 被告竹川清は、昭和五三年二月当時東京都江東区北砂三丁目二八番八号において協和病院(以下「協和病院」という。)を開設し、院長兼医師として診療業務等に従事していたものである。

2  原告裕美の症状及び診療の経過

(一) 都立墨東病院における診療

原告裕美は、昭和五三年二月一二日(日曜日)夕方三九度の発熱があり、近くの救急病院同愛会病院小児科で風邪との診断を受け、投薬を受けた。しかし、その晩から泣くのみでほとんど眠らず、二回嘔吐するという状態であった。そこで、原告裕美は、同月一三日渡辺医師(松江病院)の診療を受けたが、右症状の軽快が見られず、母乳も受け付けない状態であったため、同月一四日同医師から都立墨東病院を紹介され、同病院小児科外来に行き、吉松医師の診察を受け、腹部膨満の症状を理由にレントゲン撮影・浣腸の処置を受けた。原告裕美は、明け方から機嫌が悪く、同月一五日、更に都立墨東病院小児科外来の村田三紗子医師の診察を受け、「大泉門緊満、項部強直プラス」との症状から髄膜炎の疑いがあると診断されたが、同病院小児科が満床であるとの理由により、同病院に入院することができず、救急車で被告竹川清の協和病院に転送された。

(二) 協和病院における診療

原告裕美は、同月一五日午後協和病院に入院し、同月二〇日まで被告竹川清らの診療を受けた。原告裕美は、右の間三八度から三九度の高熱が続き、項部強直の症状を示し、同月一八日には大泉門の膨隆まで見られるに至った。被告竹川清は、都立墨東病院の村田三紗子医師から髄膜炎の疑いがあるとの記載がある依頼状を受け取り、原告裕美に右のとおりの症状が見られたにもかかわらず、同月二〇日原告裕美が転院するまでの間ルンバール検査を全く実施せず、後記の化膿性髄膜炎に対する有効な治療をしなかった。原告鶴田幸一と原告安山都代子とは、社会福祉法人賛育会病院(以下「賛育会病院」という。)の小林医師の紹介を受け、同月二〇日原告裕美を賛育会病院に転院させた。

(三) 賛育会病院における診療

賛育会病院では、平川浩一医師が、同月二〇日の入院後直ちにルンバール検査を実施するとともに、応急処置としてABペニシリンを静脈注射した。ルンバール検査の結果、原告裕美の病気は化膿性髄膜炎であり、かつ、その原因となる細菌がインフルエンザ桿菌であることが判明した(以下原告裕美の罹病した化膿性髄膜炎を「本件髄膜炎」という。)ので、平川浩一医師は、右細菌に効果のあるケフリンを投与するなどの治療に努めた。その結果原告裕美の症状は次第に軽快し、白血球も減少して、昭和五三年四月八日賛育会病院を退院した。

3  原告裕美の後遺症

その後原告裕美には全身を痙攣させる発作があり、昭和五三年一一月東京女子医科大学附属病院において化膿性髄膜炎による脳障害を原因とする点頭てんかんであるとの診断を受け、同年一二月二三日から昭和五四年三月八日まで同病院小児科に入院し、治療を受け、強度の発作は押さえることができたものの、難治性てんかん(点頭てんかんの既往、強直発作)、知能遅滞(白痴)及び痙性四肢麻痺の重度脳障害の後遺症を残した。原告裕美は、東京女子医科大学附属病院において、昭和五四年一二月六日、右重度脳障害につき治癒する見込みは全くない旨の診断を受けた。

4  被告らの債務不履行による損害賠償責任

(一) 被告東京都の責任

(1) 原告安山都代子は、都立墨東病院において、昭和五三年二月一四日、原告裕美の法定代理人として被告東京都との間で、原告裕美の病状に対し、医学上の技術規準に従い、善良なる管理者の注意をもって最善の診療行為を行うことを目的とする診療契約(準委任契約、以下右診療契約を「本件第一次診療契約」という。)を締結した。

(2)ア 都立墨東病院は、東京都の東部地域(墨田、江東、葛飾、江戸川各区)においては、有数の施設・設備と人員を備えている二次救急医療機関であって、その診療科名も、内科、神経科、外科、脳神経外科、整形外科、小児科、産婦人科等の一六に及ぶ。

イ 原告裕美は、前記のとおり渡辺医師(松江病院)の診療を受けたものの、症状の軽快が見られず、母乳も受け付けない状態であったため、同月一四日同医師から都立墨東病院を紹介されて受診した。右病院の村田三紗子医師は、同月一五日午前九時三〇分ころ、原告安山都代子の問診及び原告裕美を診察した結果により、原告裕美に「大泉門緊満、項部強直プラス」の症状があり、髄膜炎の疑いがあること、かつ、原告裕美の生後四箇月という年齢から見て化膿性髄膜炎の可能性が高いこと、以上のとおり診断し、ルンバール検査を実施すべき必要があると判断した。

ウ しかるに、村田三紗子医師は、同病院の小児科の入院患者用のベッドが満床であることを理由に、同病院に原告裕美を入院させてルンバール検査を実施するという処置を執ることなく、小児科外来の看護婦をして救急指令センターと連絡を取って転院先を捜させ、小児科を専門とする医師がいるという程度の根拠で、被告竹川清の協和病院に原告裕美を転院させた。

エ 村田三紗子医師は、右診療当時被告東京都の公務員であり、都立墨東病院感染症科医長で小児科兼務であって、被告東京都の本件第一次診療契約(準委任契約)上の債務の履行補助者であったところ、右ア及びイのとおり、開業医から二次救急医療機関である都立墨東病院に紹介されてきた原告裕美について、「大泉門緊満、項部強直プラス」の症状があり、髄膜炎の疑いがあると診断し、かつ、原告裕美の生後四箇月という年齢から見て化膿性髄膜炎の可能性が高いと考えていたのであり、ルンバール検査を実施すべき必要があると判断したのであるから、直ちに同病院に入院させ、ルンバール検査を実施して適切な治療を行うべき義務があった。同病院小児科のベッドが満床であったとしても、村田三紗子医師は、同病院の感染症科の医長をしており、感染症科のベッドには空きがあることを現に知っていたのであるから、取りあえず原告裕美を感染症科のベッド又は他の科のベッドに収容して後日小児科のベッドに移すこととし、他方、当日自分が担当していた小児科の外来の診療事務については同病院の他の医師の応援を依頼するなどの適切な措置を執ることにより、直ちに自ら又は同病院の小児科の他の医師により原告裕美に対しルンバール検査を実施することが可能であった。しかるに、村田三紗子医師は、小児科外来の看護婦をして救急指令センターを通じて転院先を捜させたのみで自分は外来の他の患者の診察に従事し、原告裕美の診察に当たった午前九時三〇分ころから午前一一時三〇分ころまでの二時間程度の間、原告裕美に対しルンバール検査を実施することなく放置した。

また、仮に合理的な理由により都立墨東病院に入院させることが不可能であったとしても、右に述べた事情からすれば、まず原告裕美に対しルンバール検査を実施し、そのうえで広範囲の細菌に効果のある抗生物質の投与を開始するなどの措置を執り、原告裕美を必要な一定時間安静にしたうえで、ルンバール検査の結果を後日連絡する旨明らかにして他の病院に転院させること、ルンバール検査を実施しない場合には、原告裕美に対し適確にルンバール検査を実施し得るに足りる臨床経験を有する小児科の医師がいるかどうかを直接確認し、化膿性髄膜炎の疑いがあると考えた根拠となる大泉門の緊満と項部強直等の事実を正しく伝え、早急にルンバール検査を実施して抗生物質を投与する必要があるとの判断を説明すること又は都立墨東病院と同程度の医療水準を有する小児科の施設を有し、髄膜炎に対するルンバール検査等の診療行為を適確に行うことのできる国立病院、都立病院その他の医療機関に原告裕美を速やかに転院させること、以上のいずれかの措置を執るべき注意義務があった。しかるに、村田三紗子医師は、右各注意義務に違反し、ウで述べたとおり、なんらルンバール検査を実施せず、小児科医がいるという程度の根拠で被告竹川清の協和病院に原告裕美を転院させたものであって、被告東京都は、本件第一次診療契約上の債務不履行の責任を免れない。

(二) 被告竹川清の責任

(1) 原告安山都代子は、昭和五三年二月一四日、原告裕美の法定代理人として被告竹川清との間で、原告裕美の病状に対し、医学上の技術規準に従い、善良なる管理者の注意義務をもって最善の診療行為を行うことを目的とする診療契約(準委任契約、以下「本件第二次診療契約」という。)を締結した。

(2) 原告裕美は、昭和五三年二月一五日、都立墨東病院から被告竹川清の協和病院に転送された時点で、都立墨東病院の村田三紗子医師によって、「大泉門緊満」「ナッケンシュターレ(項部強直)プラス」との所見があるとされ、右所見に照らせば化膿性髄膜炎の疑いがあり、小児科の医師のいる病院に入院のうえ早急にルンバール検査の実施を受ける必要があること、原告裕美には、右検査の実施の支障となる身体的障害が格別なく、入院することができれば直ちにルンバール検査を実施することができる状態であったこと、以上のとおり判断されていた。被告竹川清が受け取った都立墨東病院の村田三紗子医師からの依頼状には、原告裕美の病状について「髄膜炎のうたがい」と明記されていたうえ、協和病院入院当初原告裕美に三九度の発熱があり、客観的には前記のとおり「大泉門緊満」「ナッケンシュターレ(項部強直)プラス」という症状が存したのであるから(被告竹川清自身は「ナッケンシュターレ(項部強直)プラスマイナス」という所見があるとしていた。)、被告竹川清には、原告裕美に対して直ちにルンバール検査を実施すべき注意義務があり、右義務は、原告裕美の協和病院入院期間中継続していたものである。しかるに、被告竹川清は、右注意義務に違反し、同月二〇日の原告裕美が賛育会病院に転院するまでの間原告裕美に対しルンバール検査を実施せず、なんら有効な治療を行わなかった。よって、被告竹川清は、本件第二次診療契約上の債務不履行の責任を免れない。

5  被告らの不法行為による損害賠償責任

(一) 被告東京都の責任

(1) 4の(一)(2)アないしウの事実と同一である。

(2) 村田三紗子医師は、原告裕美を診察した当時被告東京都の公務員であり、都立墨東病院感染症科医長で小児科兼務であって、被告東京都の被用者であったところ、4の(一)(2)エの各注意義務に違反した。したがって、被告東京都は、村田三紗子医師の使用者としての責任を免れない。

(二) 被告竹川清の責任

(1) 4の(二)(2)の事実と同一である。

(2) よって、被告竹川清は、不法行為による損害賠償責任を負う。

6  因果関係

(一) 原告裕美には、化膿性髄膜炎治癒後も前記のとおり難治性てんかん(点頭てんかんの既往、強直発作)、知能遅滞(白痴)及び痙性四肢麻痺の症状があり、右症状は原告裕美の化膿性髄膜炎の後遺症である。

(二) 原告裕美は、昭和五三年二月一四日から同月一五日に化膿性髄膜炎に罹病したが、右時点ではまだ早期の段階にあったところ、同月二〇日賛育会病院に転院した時点では症状としては最高に進んでいる状態に至り、脳実質に病変を来たし、中枢神経が侵されるに至っていた。すなわち、原告裕美の罹病していた化膿性髄膜炎は、被告竹川清の協和病院に入院していた間に病勢が進行し、脳の実質に炎症をおこすほどにまで至った。

(三) 化膿性髄膜炎は、早期にルンバール検査を実施して適切な抗生物質を投与することにより治癒する可能性が高い。本件でも、被告東京都又は被告竹川清が前記の注意義務を履行していれば、原告裕美の罹病した化膿性髄膜炎が、前記の後遺症を残さずに治癒していた蓋然性が高い。したがって、被告東京都又は被告竹川清の前記の注意義務違反と原告裕美の前記後遺症との間に因果関係が存することは明らかである。

7  損害

(一) 原告裕美

(1) 逸失利益

金二九四三万一一二八円

原告裕美は、本件髄膜炎により重度脳障害の後遺症があり、労働能力を一〇〇パーセント喪失した。昭和六一年度の労働省調査賃金構造基本統計調査報告(賃金センサス)第一巻第一表による産業計女子労働者旧中・新高卒全年齢平均賃金年収額二三九万三三〇〇円を基礎にし、ライプニッツ式により年五分の割合による中間利息を控除するため、右年収額に一〇歳に適用するライプニッツ係数12.2973を乗じて高校卒業後満一八歳から満六七歳までの就労期間中の逸失利益の現価額を算定すると、右現価額は、金二九四三万一一二八円(円未満切捨て)となる。

(2) 付添看護費

金六二〇二万三八三〇円

原告裕美は、本件髄膜炎罹病以来食事、排泄、入浴等の日常生活の起居動作全般にわたり、家人等の付添介護を必要とする状態にあり、この状態の改善の見込みはない。原告裕美が右状態にあることが医師の診断書によって確認された昭和五四年一二月六日以降昭和六三年二月一五日までの二九九四日間分の付添看護費は、一日金五六〇〇円として金一六七六万六四〇〇円となる。また、原告裕美の昭和六三年二月一六日以降満一〇歳の女子の平均余命である七一年の間の付添看護費は、一日金六四〇〇円、一年(三六五日当たり)金二三三万六〇〇〇円とし、これに七一年に対応するライプニッツ係数19.3739を乗じると、金四五二五万七四三〇円(円未満切捨て)となる。

(3) 慰謝料 金二〇〇〇万円

原告裕美は、本件髄膜炎罹病以後、知能遅滞、四肢麻痺のまま寝たきりの状態で、食事、排泄、入浴等の生活行動全般にわたり、近親者の全面的介護を必要としており、今後も右状態の改善の見込みはない。右の点に加え、本件医療事故の態様、診療の経過等の諸般の事情を考慮すると、原告裕美の受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては、金二〇〇〇万円を下回ることはない。

(二) 原告安山都代子及び原告鶴田幸一

原告裕美の両親である原告安山都代子及び原告鶴田幸一が被告らの不法行為又は債務不履行によって受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては、各金七〇〇万円を下回ることはない。

(三) 原告らの弁護士費用

被告らは、原告らに対する右損害賠償債務の任意の履行に応じないので、原告らは、やむなく原告ら訴訟代理人弁護士に本件訴訟の提起・追行を委託し、日本弁護士連合会報酬基準規程により手数料及び報酬として請求金額の一〇パーセントを支払う旨約した。各原告が被告らに対し賠償を請求することのできる弁護士費用は次のとおりである。

(1) 原告裕美

金一一一四万五四九五円(円未満切捨て)

(2) 原告安山都代子 金七〇万円

(3) 原告鶴田幸一 金七〇万円

よって、原告裕美は、被告らに対し、債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、連帯して損害金合計一億二二六〇万〇四五三円並びに内金七八〇一万三七二九円に対する不法行為以後の日であり、かつ、本件訴状送達の日の翌日である昭和五五年五月一八日から、残金四四五八万六七二四円に対する訴え拡張の申立書送達の後である昭和六三年三月三日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告安山都代子及び原告鶴田幸一は、被告らに対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、連帯して各原告に対しそれぞれ金七七〇万円並びに内金五五〇万円に対する不法行為以後の日であり、かつ、本件訴状送達の日の翌日である昭和五五年五月一八日から、残金二二〇万円に対する訴え拡張の申立書送達の後である昭和六三年三月三日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告東京都)

1 請求原因1(一)の事実のうち、原告鶴田幸一と原告安山都代子とが原告裕美の両親であること及び(二)の事実は認め、その余の事実は知らない。

2(一) 同2(一)の事実のうち、原告裕美が、昭和五三年二月一二日(日曜日)夕方三九度の発熱があり、近くの救急病院同愛病院小児科で風邪との診断を受け、投薬を受けたが、その晩から泣くのみでほとんど眠らず、二回嘔吐するという状態であったこと、原告裕美が同月一三日渡辺医師(松江病院)の診療を受けたが、右症状の軽快が見られず、母乳も受け付けない状態であったことは、いずれも知らない。その余の事実(原告裕美が同月一四日渡辺医師から都立墨東病院を紹介され、同病院小児科外来に行き吉松医師の診察を受け、腹部膨満の症状を理由にレントゲン撮影・浣腸の措置を受けたこと、原告裕美は、明け方から機嫌が悪く、同月一五日更に都立墨東病院小児科外来の村田三紗子医師の診察を受け、「大泉門緊満、項部強直プラス」との症状から髄膜炎の疑いがあると診断されたが、同病院小児科が満床であるとの理由により、同病院に入院することができず、救急車で被告竹川清の協和病院に転送されたこと)は認める。

(二) 同2の(二)及び(三)の事実はいずれも知らない。

3 同3の事実は知らない。

4(一) 同4の(一)について  (1)及び(2)アないしウの事実は認める。(2)エの事実のうち、村田三紗子医師が本件第一次診療当時被告東京都の公務員であり、都立墨東病院感染症科医長で小児科兼務であったこと、二次救急医療機関である都立墨東病院に開業医から紹介されてきた原告裕美について、村田三紗子医師が「大泉門緊満、項部強直プラス」の症状があり、髄膜炎の疑いがあると診断し、かつ、原告裕美の生後四箇月という年齢から見て化膿性髄膜炎の可能性が高いと考え、ルンバール検査を実施すべき必要があると判断したこと、村田三紗子医師が原告裕美に対しルンバール検査を実施せず、小児科外来の看護婦をして救急指令センターを通じて転院先を捜させ、自分は外来の他の患者の診察に従事したこと、村田三紗子医師が、小児科医がいることなどを根拠として被告竹川清の協和病院に原告裕美を転院させたものであること、以上の事実は認めるが、村田三紗子医師が、同病院の感染症科のベッドには空きがあることを現に知っていたこと、取りあえず原告裕美を感染症科のベッド又は他の科のベッドに収容して後日小児科のベッドに移す一方、当日自分が担当していた小児科の外来の診療事務については同病院の他の医師の応援を依頼するなどの措置を執ることにより、直ちに自ら又は同病院の小児科の他の医師により原告裕美に対しルンバール検査を実施することが可能であったことは、否認する。

(二) 村田三紗子医師が協和病院に対する転送措置を執ったことの担当性について

(1) 都立墨東病院の受入れ可能性について

村田三紗子医師が原告裕美を診察した昭和五三年二月一五日当日、都立墨東病院の小児科のベッドが満床であり、村田三紗子医師の努力にもかかわらず、原告裕美を受け入れることができなかった。原告らは、取りあえず原告裕美を感染症科のベッド又は他の科のベッドに収容すべきであったと主張するが、感染症科病棟は、伝染予防法に基づく併設隔離病棟であって、法定伝染病患者を収容するところであり、法定伝染病以外の患者を収容することは適当ではない。また、原告裕美のように生後四箇月の乳児を他の診療科の病棟に入院させることは、施設及び看護実施の両面から適当ではなく、都立墨東病院では慣例として右のような措置を行わないこととされていた。

(2) 村田三紗子医師がルンバール検査を実施せずに転送した措置の相当性について

ルンバール検査は、髄液を採取することから体内の髄圧の変化を来し、検査終了後最低二時間は患者の頭を低くして絶対安静の状態におく必要があり、その後も二四時間は体動を避けて臥床させ、緊急事態に具える必要がある。他方、本件では、村田三紗子医師が原告裕美を診察した昭和五三年二月一五日当時、原告裕美の髄膜炎は、まだ初期の段階にあり、急性のものではなく、徐々に進行していたのであって(このことは協和病院における原告裕美の症状の経過から見て明らかである。)、一刻を争ってルンバール検査を実施しなければならない程の状態ではなかった。そこで村田三紗子医師は、小児科医がいて入院可能な被告竹川清の協和病院においてルンバール検査を実施することとしたほうが相当であると判断したものである。なお、ルンバール検査を実施する前に広範囲の細菌に効果のある抗生物質をあらかじめ投与することは、その後に行うべきルンバール検査による起炎菌の検出を妨げることとなるから、村田三紗子医師は、なんらの投薬をすることなく協和病院に転院させたものである。村田三紗子医師の以上の判断にはなんらの誤りもない。

(3) 協和病院に転院させた判断の相当性について

化膿性髄膜炎は、診断を早く、かつ、確実に行い、診断確定後に適切な抗生剤を投与すれば足り、経験ある小児科医師にとっては特段困難な疾患ではなく、むしろ一般的な疾患であって、小児科を専門とする医師のいる病院で十分な治療を行うことのできるものである。都立墨東病院の村田三紗子医師は、小児科外来の看護婦に転院先を捜させた際、協和病院の担当者に対し、あらかじめ同病院に小児科医師のいることを確認したうえで、患者が生後四箇月の乳児であること及び髄膜炎の疑いがあることを告げさせており、さらに、協和病院に転院させるに際しては、原告裕美が化膿性髄膜炎に罹病している疑いがあること、都立墨東病院が満床のため転院の措置を執ったものであること、検査は何もしていないこと、以上の各点を明記した依頼状を原告安山都代子に持たせている。被告竹川清が原告裕美を診察し、その結果どのような治療行為をなすべきかは小児科の医師である被告竹川清の裁量に属するのであって、村田三紗子医師が自分の判断に基づいて被告竹川清に対し診療に関する指示をすべき筋合いのものではないし、被告竹川清もそのような指示に何ら拘束されるものではないというべきである。したがって、村田三紗子医師に、都立墨東病院と同程度の医療水準を有する小児科の施設を有する国立病院、都立病院その他の医療機関に原告裕美を速やかに転院させるべき注意義務があったということはできず、協和病院への転送措置になんら過誤はない。

5 同5の(一)の事実についての認否は、同4の(一)(2)アないしウの事実についての認否と同一である。同5の(一)(2)の事実のうち、村田三紗子医師が、原告裕美を診察した当時被告東京都の公務員であり、都立墨東病院感染症科医長で小児科兼務であった事実は認める。

6 同6について  (一)及び(二)の事実は知らない。(三)のうち、被告東京都の注意義務違反と原告裕美の後遺症との間に因果関係があることは否認する。

7 同7の事実は知らない。

(被告竹川清)

1 請求原因1(一)の事実のうち、原告鶴田幸一と原告安山都代子とが原告裕美の両親であること及び(二)、(三)の事実は認め、その余の事実は知らない。

2(一) 同2(一)の事実のうち、原告裕美が都立墨東病院に入院することができず、救急車で被告竹川清の協和病院に転送されたことは認め、その余の事実は知らない。

(二) 同2(二)の事実のうち、原告裕美が同月一五日午後協和病院に入院し、同月二〇日まで引き続き入院していたこと、被告竹川清が、都立墨東病院の村田三紗子医師から髄膜炎の疑いがあるとの記載がある依頼状を受け取ったこと、被告竹川清が原告裕美に対し同月二〇日までの間ルンバール検査を全く実施しなかったこと、原告鶴田幸一と原告安山都代子とが賛育会病院の小林医師の紹介を受け、原告裕美が同月二〇日賛育会病院に転院したこと、以上の各事実は認め、その余の事実は否認する。

協和病院における原告裕美の症状は次のとおりであった。

(1) 体温について

原告裕美の体温は、同月一五日夕刻ころから三七度台に下がり、同月一八日午後一二時までの間はおおむね三六度台から三七度台であったのであり、原告主張のように終始三八度から三九度の高熱が続いていたわけではない。

(2) 項部強直の症状について

ア ナッケンシュターレ(項部強直)の症状は、同月一五日の入院時にはプラスマイナス(やや強いという程度)、同月一六日及び一七日にはマイナス(認められない)を示していた。

イ 原告裕美の症状に関するカルテの記載及び別所医師の証言の証明力について

同月一六日には別所医師が、同月一七日には被告竹川清がそれぞれ原告裕美を診察しており、その所見によれば原告裕美の項部強直の症状が右アのとおりであったことは、被告竹川清及び別所医師の記載した協和病院のカルテ(甲第二号証の一〇、乙第六号証の七)の記載上明らかである。もっとも、都立墨東病院のカルテ(丙第一号証の三)には「大泉門緊満」「Nackenstarre+」(ナッケンシュターレ(項部強直)プラス)という記載がある。しかし、当初から髄膜炎である場合、途中でその髄膜炎が軽快することは考えられず、都立墨東病院の村田三紗子医師が診察した時点でナッケンシュターレ(項部強直)プラスであったものが翌日及び翌翌日の診療時点でナッケンシュターレ(項部強直)マイナスとなることは考えられない。したがって、協和病院のカルテ(甲第二号証の一〇、乙第六号証の七)の記載と都立墨東病院のカルテ(丙第一号証の三)の記載との証明力の優劣が問題となるというべきところ、都立墨東病院のカルテには作為の余地があり、信用性が乏しい。他方、協和病院のカルテは、本訴提起に先立ち、あらかじめ原告らによって証拠保全されていたものであり、作為の余地がなく、信用性が高いというべきである。都立墨東病院のカルテの記載どおりの症状が認められたならば、村田三紗子医師は、原告裕美に対し直ちにルンバール検査を実施すべきであり、協和病院に転送すべきものではない。実際にはそのような症状ではなかったから、ルンバール検査を実施しないまま協和病院に転送したものである。また、別所医師は、小児科医ではないが、産婦人科医であり、乳・幼児については専門医である。同医師は、昭和五三年二月一六日、カルテ及び看護婦長から原告裕美が髄膜炎の疑いのある乳児であることを確認し、体温、食欲の点に注意し、聴診器で胸部聴診のうえ、原告裕美の後頭部に手を差し入れ、胸を押さえて顎が胸に付くように首を曲げさせる検査をした。その結果、普通に動くことを確認し、カルテに「Nackenstarre−」(ナッケンシュターレ(項部強直)マイナス)と記載したものである。同医師は、中枢神経に問題がないか否かを調べるため、懐中電灯で瞳孔反射をみており、異常がなかったので、カルテに「瞳孔反射グート」と記載した。

(3) 大泉門の膨隆について

大泉門の膨隆まで見られるに至ったのは同月一九日午前五時二〇分ころである。

(4) 以上のとおり、原告裕美に化膿性髄膜炎を疑わせる顕著な症状が生じたのは、同月一九日午前五時二〇分ころ大泉門の膨隆が見られてからであり、それまではむしろ化膿性髄膜炎を疑わせる症状はなかった。

(三) 同2(三)の事実は知らない。

3 同3の事実は知らない。

4(一) 同4の(二)(1)の事実は認める。

(二) 同4の(二)(2)の事実のうち、昭和五三年二月一五日、原告裕美が都立墨東病院から被告竹川清の協和病院に転送された際に、被告竹川清が受け取った都立墨東病院の村田三紗子医師からの依頼状には、原告裕美の病状について「髄膜炎のうたがい」と記載されており、被告竹川清が原告裕美に「ナッケンシュターレ(項部強直)プラスマイナス」という所見があるとしたこと、原告裕美が賛育会病院に転院する同月二〇日までの間被告竹川清が原告裕美に対してルンバール検査を実施しなかったこと、以上の事実は認め、その余の事実は否認する。

(三) 被告竹川清の行った診療行為の相当性について

(1) 診療の経過について

ア 昭和五三年二月一五日

原告裕美の症状は、入院時においてぐったりしており、顔面蒼白、鼻呼吸、呼吸困難の様子であり、体温38.4度、脈が早くて弱く、口唇真白、身体が冷たくて反応がなく、ナッケンシュターレ(項部強直)プラスマイナス、髄膜刺激症状陰性で、危篤状態であった。そこで、被告竹川清は、直ちに患者を快復器(保育器)に入れ、酸素吸入・保温管理をするとともに、リンコシン、ネオスルピン及びベナロンを投与した。原告裕美は、体温が午後三時には37.8度、午後六時には37.0度、午後九時には37.1度に下り、同日夜には全身状態もよくなり、ようやく危篤状態を脱し、一命を取り留めた。

原告裕美の右の状態を考えれば、被告竹川清が原告裕美に対して同日ルンバール検査を実施しなかったのは臨床医として当然のことである。

イ 同月一六日

原告裕美は、体温が午前一時36.2度、午前七時37.4度、午後六時35.9度とほぼ平熱で推移し、心臓・肺とも異常がなく、一般状態が良好で、瞳孔反射良好、ナッケンシュターレ(項部強直)マイナスで髄膜炎を疑わせる症状もなかったので、被告竹川清は、しばらく経過を見ることとした。

ウ 同月一七日

原告裕美の症状は、ナッケンシュターレ(項部強直)マイナスであるが、頸椎が少し硬い感じで、肺がゼイゼイいっていた。被告竹川清は、原告裕美について、髄膜炎のほかに、肺炎、母体内でビールス性の病気にかかったことを原因とする発熱等の症状又は頸椎の異状の可能性があると考え、原告裕美が生後四箇月の乳児であることから、同人に苦痛と体力的負担を与えるだけでなく、種々の副作用ないし合併症を発現させ、生命に危険のあるルンバール検査を実施する前に、まず危険性の少ないレントゲン撮影による検査を行うべきものと判断し、その指示により午後零時一五分レントゲン撮影が施行された。原告裕美の体温は、午後二時38.7度、午後六時39.6度と一時的に上昇したが、ネオスルピンの投与とアイスノンの使用により午後六時三五分には38.4度、午後九時36.4度とほぼ平熱に戻った。

被告竹川清は、原告裕美の前記症状から髄膜炎の疑いがそれほど大きくなく、一刻を争ってルンバール検査を実施しなければならないという状況ではなかったこと、レントゲン撮影の結果を検討してから必要に応じてルンバール検査を実施すべきであったこと、レントゲン撮影に続いてルンバール検査を実施することに原告裕美が体力的に耐えられない状態であったことなどの理由から、同日はレントゲン撮影のみを実施した。

エ 同月一八日

原告裕美の症状は、体温が三六度台であり、食欲もあった。被告竹川清は、同日午後四時三〇分ころ原告裕美の胸部及び頭部のレントゲン撮影写真を検討したが、肺、頭部及び頸椎等に格別異状を認めなかった。そこで、被告竹川清は、念のため翌日にルンバール検査を実施することを決意した。翌日は、日曜日であったが、被告竹川清は、特別に出勤してルンバール検査を実施しようと考え、午後四時三〇分ころ看護婦に対しその準備を指示した。

オ 同月一九日

被告竹川清は、午前八時ころ、協和病院の看護婦からの連絡により原告安山都代子が原告裕美を転院させようとしていることを知った。被告竹川清は、病院に行き、原告安山都代子から「賛育会病院にベッドが確保できたのですぐ転院したい。」との申出を受けるとともに、当直の看護婦から、原告裕美に同日午後五時二〇分ころ大泉門膨隆が認められ、かつ、38.2度の発熱があるとの報告を受け、その時点で原告裕美が髄膜炎に罹病していることに間違いないと判断した。しかし、被告竹川清は、右転院の申出により同日午前中に予定していたルンバール検査の実施を含めて診療の実施を拒否されたこととなってしまったため、原告安山都代子に対し、「原告裕美は髄膜炎に間違いないから、転院するならすぐ救急車で行くように。」と述べ、その場ですぐに賛育会病院宛の紹介状を書いて交付した。その後被告竹川清は、原告裕美が当然直ちに転院するものと考え、同人について看護婦に対し特に指示をあたえることなく、すぐ帰宅した。

カ 同月二〇日

被告竹川清は、原告裕美が同日午前八時ころまで協和病院にとどまっていて賛育会病院に転院していったとの報告を受けて驚いた。

(2) 化膿性髄膜炎を疑わせるべき原告裕美の症状について

ルンバール検査は、患者を側臥位にし、両手で膝を抱え込むようにさせて両足を腹部に接触させ、身体を海老のように前屈させることにより脊柱を強く屈曲させた状態で、腰椎等に針を突き刺して髄液を採取して行うものであり、その施術はかなりの苦痛を伴う。殊に乳幼児の場合は、施術協力が得られず、激しく泣き叫び、暴れたりするので、補助者がしっかりと押さえつけて動かないように固定する必要があり、乳幼児にとってかなりの体力的負担を強いられる検査である。また、ルンバール検査の副作用として、しばしば頭痛、背痛、めまい、嘔吐などがあり、恐るべき合併症として後葉大孔への小脳の嵌頓から死の結果を見ることもある。ルンバール検査には右のような危険性があるため、いかなる時期に、いかなる基準に基づいて検査を実施すべきかという点について一致した見解があるわけではない。臨床医としては、確定診断を下す以前には、刻々と変化する患者の状態を注意深く監視し、複数の病気の可能性を念頭に置きつつ、施行する検査の危険性等を比較考量しながら、そのなすべき検査の選択・実施時期等の決定をするのが通常である。臨床医にとって、診断方法を決定するのに際して与えられる情報は、目の前の患者の症状、病歴等、極めて限られた情報である。したがって、医師の過失を論ずる場合に、最も重視しなければならないのは、右の現実を前提として、患者の症状が、どのようなものであったのかという点であり、患者の症状を基準として、医師の過失・無過失の区別を判断するほかない。協和病院における原告裕美の症状については、2で述べたとおりであり、原告裕美の体温が、同月一五日夕刻ころから三七度台に下がり、同月一八日午後一二時までの間おおむね三六度台から三七度台であったのであり、原告主張のように終始三八度から三九度の高熱が続いていたわけではなく、殊にナッケンシュターレ(項部強直)の症状は、同月一五日の入院時にはプラスマイナス(やや強いという程度)、同月一六日及び一七日にはマイナス(認められない)を示していたのであって、結局原告裕美に化膿性髄膜炎を疑わせる顕著な症状が生じたのは、同月一九日午前五時二〇分ころ大泉門の膨隆が見られてからであり、それまでは化膿性髄膜炎を疑わせる症状はなく、むしろ一般状態は入院直後よりも良い状態で推移していた。ところで、担当医師が小児科医の場合は、大泉門の膨隆を認めたときは、直ちにルンバール検査をすべきであり、専門外の医師の場合は、大泉門の膨隆を認めても他の全身状態が良いときは、経過観察で足りるが、他が不良な場合は、直ちにルンバール検査をすべきであるとされている。したがって、担当医師が小児科医であっても、大泉門の膨隆等の髄膜炎に特徴的な症状がない以上、ルンバール検査を施行するか又は施行せずに経過観察するかは、医師の裁量の範囲内と解すべきである。昭和五三年二月一九日未明まで原告裕美に大泉門の膨隆等の髄膜炎に特徴的な症状は全然認められなかったことは、既に述べたとおりであり、被告竹川清がルンバール検査を実施しなかったことにはなんらの落ち度がない。

5 同5の事実に対する認否は、同4の(二)(2)の事実に対する認否と同一である。

6 同6について  (一)の事実は知らない。(二)のうち、原告裕美が昭和五三年二月一四日から同月一五日に化膿性髄膜炎に罹病し、右化膿性髄膜炎が、被告竹川清の協和病院に入院していた間に病勢が進行したことは否認し、同月二〇日原告裕美が賛育会病院に転院した時点で、右化膿性髄膜炎が症状としては最高に進んでいる状態に至り、脳実質に病変を来たし、中枢神経が侵されるに至っていたことは知らない。(三)のうち、被告竹川清が原告ら主張の前記の注意義務を履行していれば、原告裕美の罹病した化膿性髄膜炎が、前記の後遺症を残さずに治癒していた蓋然性が高いこと、被告竹川清の前記の注意義務違反と原告裕美の前記後遺症との間に因果関係が存することは否認する。化膿性髄膜炎は、極めて予後の悪い疾病であり、その後遺症は、患者の年齢、起炎菌の種類等によって影響されるものであるから、被告竹川清が原告裕美に対しルンバール検査を実施しなかったことと原告裕美の後遺症との間には因果関係がない。仮に右両者の間に事実的な因果関係が存するとしても、ルンバール検査実施により起炎菌を特定するには数日間を要するのであるから、患者に対しルンバール検査を実施した後即時に有効適切な抗生物質を選択して投与することは不可能であり、ルンバール検査を実施すれば一〇〇パーセント後遺症を残さず化膿性髄膜炎が完治するというものではない。したがって、被告竹川清が原告裕美に対しルンバール検査を実施しなかったことと原告裕美の後遺症との間には相当因果関係がないというべきであるし、右因果関係を肯定するとしても、被告竹川清が原告裕美の後遺症全部について責任を負担する筋合いではなく、そのごく一部についてのみ賠償責任を負うのみである。

7 同7の事実は知らない。

三  抗弁(被告竹川清)

1  原告安山都代子らの過失

被告竹川清は、昭和五三年二月一九日朝、原告安山都代子から原告裕美を転院させる旨の申出を受け、直ちに転院先宛の紹介状を作成し、原告安山都代子に対し、右紹介状を交付して速やかに転院するよう告知した。しかるに、原告安山都代子らは、丸一日も転院しないまま協和病院に原告裕美を在院させ、同月二〇日になって賛育会病院に転院した。右のような経緯は、被告竹川清の予想することのできない事態であり、原告安山都代子らには、原告裕美に化膿性髄膜炎を疑わせる顕著な症状が生じ、転院する旨申し出ていながらあえて被告竹川清に無断で協和病院にとどまっていた点において過失がある。右の事実によれば、被告竹川清が原告安山都代子から転院の申出を受けてから同月二〇日までの間に診療行為を行うことは不可能であったというべきであるから、右の間は被告竹川清になんらの注意義務違反がない。

2  過失相殺

原告安山都代子には1で述べた事実による過失があり、右過失は、原告らの損害額の算定に当たって斟酌されるべきである。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実はいずれも否認する。

第三  証拠<省略>

理由

一1  請求原因1の(一)の事実のうち、原告鶴田幸一と原告安山都代子とが原告裕美の両親である事実は当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、原告裕美が昭和五二年一〇月一八日原告鶴田幸一及び原告安山都代子の長女として出生したこと並びに原告鶴田幸一と原告安山都代子とが昭和四九年三月一八日婚姻の届出をした夫婦であったが、昭和六二年一月二三日協議により離婚の届出をしたことの事実を認めることができる。

2  請求原因1の(二)(被告東京都による都立墨東病院の設置・運営の事実)の事実は、原告らと被告東京都との間で争いがない。

3  請求原因1の(三)(昭和五三年二月当時被告竹川清が協和病院を開設し、院長兼医師として診療業務等に従事していたこと)の事実は、原告らと被告竹川清との間で争いがない。

二原告裕美の症状及び診療の経過について

1  請求原因2の(一)(都立墨東病院における診療)の事実について

<証拠>を併せて考えれば、次の事実を認めることができる。

原告裕美は、昭和五三年二月一二日(日曜日)夕方三九度の発熱があり、近くの救急病院同愛会病院小児科で風邪との診断を受け、飲み薬の処方を受けた。しかし、原告裕美は、その晩から機嫌が悪く、ぐずついてほとんど眠らず、母乳を自分からは吸わないようになり、搾乳して飲ませてから右飲み薬を飲ませようとしても二回とも吐き出してしまって受け付けないという状態であった。そこで、原告裕美は、同月一三日一般の開業医である渡辺医師(松江病院)の診療を受けたが、右症状の軽快が見られなかったため、同月一四日、渡辺医師の紹介により都立墨東病院小児科外来を訪れた。原告裕美は、右病院の吉松医師の診察を受け、腹部膨満の症状を理由にレントゲン撮影・浣腸の処置を受けた。しかし、原告裕美は、右処置にもかかわらず、機嫌が悪く、ぐずついてよく眠れない状態であったため、同月一五日(水曜日)更に右病院小児科外来の村田三紗子医師の診察を受けた。原告裕美は、村田三紗子医師によって「大泉門緊満、項部強直プラス」という症状と生後四箇月という年齢とから化膿性髄膜炎の疑いがあると診断されたが、同病院小児科が満床であるとの理由により、同病院に入院することができず、救急車で被告竹川清の協和病院に転送された(請求原因2の(一)の事実のうち、原告裕美が昭和五三年二月一四日渡辺医師から都立墨東病院を紹介され、同病院小児科外来に行き吉松医師の診察を受け、腹部膨満の症状を理由にレントゲン撮影・浣腸の処置を受けたこと、原告裕美は、明け方から機嫌が悪く、同月一五日更に都立墨東病院小児科外来の村田三紗子医師の診察を受け、「大泉門緊満、項部強直プラス」との症状から髄膜炎の疑いがあると診断されたが、同病院小児科が満床であるとの理由により、同病院に入院することができず、救急車で被告竹川清の協和病院に転送されたことの各事実は、原告らと被告東京都との間で争いがない。)。

被告竹川清は、協和病院のカルテの同月一六日及び同月一七日の記載がナッケンシュターレ(項部強直)マイナスであったところ、当初から髄膜炎である場合、途中でその髄膜炎が軽快することは考えられず、ナッケンシュターレ(項部強直)プラスと診断されたものが翌日、翌々日の時点でナッケンシュターレ(項部強直)マイナスになることはありえないことを理由として、村田三紗子医師が原告裕美について「大泉門緊満、項部強直プラス」という症状と生後四箇月という年齢とから化膿性髄膜炎の疑いがあると診断した事実は存しないことから、丙第一号証の三(都立墨東病院のカルテ)には「大泉門緊満」「Nackenstarre+」(ナッケンシュターレ(項部強直)プラス)という記載があるが、右カルテには作為の余地があり、信用性が乏しいこと、以上のとおり主張し、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第二三、第二四号証(被告竹川清代理人弁護士原山庫佳作成の昭和六〇年一月二六日付け「鑑定のご依頼」と題する書面及び東京医科大学小児科学教室教授本多輝男作成の同年三月六日付け「鑑定書」)の記載中には、右主張に副うかのように「(問い)本件患者の場合、昭和五三年二月一五日午前一〇時都立墨東病院外来で診察した時点で項部強直プラス、大泉門緊満の症状であったと仮定した場合、その後検査も治療もしないまま経過し、同日正午ころ救急車で協和病院に運ばれ、直ちに診察したところ、(中略)重篤な症状であったため、同病院は、直ちに患者を保育器に入れて酸素吸入と保温管理を行うとともに、解熱剤投与とリンコシンの筋注(毎日二回、三日間)等の治療を行ったところ、二月一六日午前一〇時ころの時点で、平熱、項部強直マイナス、大泉門異状なしの状態に回復し、以後二月一八日午後一一時三〇分の時点までの間、ほぼ同様な状態のまま推移することがありますか。(答え)きわめて頻度の少ない経過でしょうが、ありうることと考えます。理由 髄膜炎の原因菌がリンコシンに高感度の感受性を示す場合、あるいは髄膜炎でなくメンギスムスである場合には、このような経過も認められます。」との部分があり、被告竹川清本人及び証人恩田幸江の供述中には前記主張に副い、「昭和五三年二月一五日に都立墨東病院から協和病院に対し原告裕美の受入れの依頼があった際、原告裕美が急性肺炎であるとの説明であった。」との部分がある。

しかし、前掲甲第二号証の三(甲第六号証)によれば、同月一五日に原告裕美が都立墨東病院から協和病院に対し転送された際、村田三紗子医師が被告竹川清に対して書いた依頼状の中で、「原告裕美が同月一四日に松江診療所(渡辺医師)の紹介で嘔吐と発熱とを主訴として都立墨東病院に来院したこと、同月一四日には髄膜炎を疑わせる所見がなく抗生剤の使用を見合わせたこと、原告裕美が同月一五日都立墨東病院に再来し、髄膜炎と思われる旨診断したこと、都立墨東病院が満床のため入院させることができないこと、検査は何もしていないこと」、以上の各事実を疑問の余地のない表現で明確に告知していること、すなわち、村田三紗子医師の右依頼状には、簡潔な表現ではあるが、原告裕美が都立墨東病院に来院するまでに既に嘔吐と発熱との症状があり、一般の開業医が重病を慮って都立墨東病院に転送したものであること、都立墨東病院の医師の診断では、同月一四日には髄膜炎を疑わせる所見がなかったものの、同月一五日にはその所見が認められ、髄膜炎の疑いがあると診断したことの各事実が明瞭に記載されており、小児科の医師が虚心に右依頼状を読めば、二次病院であり、当該地域において診療水準の高さに定評のある都立墨東病院(この事実は弁論の全趣旨によりこれを認める。)の担当医師(村田三紗子医師)が、原告裕美に髄膜炎の疑いがあると診断したこと、それにもかかわらず、右のような疑いのある場合に小児科の医師として当然に行うべきルンバール検査を都立墨東病院の満床のために実施することができなかったこと、したがって、被告竹川清に右検査の実施をはじめとする髄膜炎に対する適切な診療行為を行うことを依頼していることが明らかであったというべきである。すなわち、前掲甲第二号証の三(甲第六号証)のみによっても、村田三紗子医師が同月一五日原告裕美を髄膜炎の疑いがあると診断したとの事実を優に認めることができるのであって、都立墨東病院において吉松医師、村田三紗子医師又はその他の医師が原告裕美を肺炎の疑いがあると診断したことを認めるに足りる証拠はないし、他に右認定(村田三紗子医師が同月一五日原告裕美を髄膜炎の疑いがあると診断したとの事実)を覆すに足りる証拠はない。しかして、村田三紗子医師の右依頼状によれば、同医師が原告裕美に髄膜炎の疑いがあると診断したことは明らかであり、かつ、後記認定のとおり、被告竹川清自身が同月一五日の時点で既に右依頼状を読んでいるのであるから、村田三紗子医師が原告裕美に髄膜炎の疑いがあると診断した事実を否定する余地はなく、右診断の事実自体が都立墨東病院のカルテ(丙第一号証の三)の記載の証明力の裏付けになるというべきである。また、前掲乙第二三、第二四号証(被告竹川清代理人弁護士原山庫佳作成の昭和六〇年一月二六日付け「鑑定のご依頼」と題する書面及び東京医科大学小児科学教室教授本多輝男作成の同年三月六日付け「鑑定書」)の記載部分については、その前提としている事実関係中、まず原告裕美の体温について、二月一六日から同月一八日午後一一時三〇分の時点までの間、ほぼ平熱のまま推移したとの事実自体を認めることができず、かえって、同月一七日には原告裕美が高熱を発するなど、協和病院の入院期間中解熱剤の投与とアイスノンの使用によって一時的に解熱したに過ぎず、高熱状態と解熱状態とを繰り返していた事実が認められるのみならず、原告裕美が協和病院入院中に罹病していた髄膜炎の原因菌が被告竹川清の投与したリンコシンに高感度の感受性を示したことを認めるに足りる証拠がないし、同月一六日又は同月一七日に原告裕美がナッケンシュターレ(項部強直)マイナスの状態であったと認めることができないことは、後に述べるとおりである。すなわち、協和病院入院中同月一八日までの時点で原告裕美の髄膜炎を示す症状が消失した事実を認めることができず、原告裕美には髄膜炎を疑うべき症状が継続していたというべきである。さらに、証人村田三紗子の証言及び被告竹川清本人尋問の結果によれば、ナッケンシュターレ(項部強直)が極めてとりにくい所見であり、ナッケンシュターレ(項部強直)プラスという所見の場合、ナッケンシュターレ(項部強直)が認められるが、非常に高度というわけではないことを意味すること、被告竹川清自身も同月一五日の原告裕美の入院時にナッケンシュターレ(項部強直)プラスマイナスと診ており、医師によっては、同一の症状の患者について、ナッケンシュターレ(項部強直)プラスと診たりナッケンシュターレ(項部強直)プラスマイナスと診たりすることがあること、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。以上の事実に照らすときは、前掲乙第二三、第二四号証の前記記載部分は、前提をなす事実を認めることができず、到底採用することができないし、証人恩田幸江及び被告竹川清本人の各供述部分を採用することもできない。他に、前記認定を覆すに足りる証拠はない。

2  請求原因2の(二)(協和病院における診療)の事実について

<証拠>を併せて考えれば、次の事実を認めることができる。

(一)  昭和五三年二月一五日

原告裕美は、同月一五日(水曜日)正午ころ救急車で協和病院に入院した。

被告竹川清は、救急車が到着するとまず村田三紗子医師の依頼状を受け取り、右依頼状に「原告裕美が同月一四日に松江診療所(渡辺医師)の紹介で嘔吐と発熱とを主訴として都立墨東病院に来院したこと、同月一四日には髄膜炎を疑わせる所見がなく抗生剤の使用を見合わせたこと、原告裕美が同月一五日都立墨東病院に再来し、髄膜炎と思われる旨診断したこと、都立墨東病院が満床のため入院させることができないこと、検査は何もしていないこと」という趣旨が記載されている事実を認識した。被告竹川清は、続いて原告裕美を診察した。原告裕美は、入院時において体温38.4度であり、被告竹川清の診断ではナッケンシュターレ(項部強直)プラスマイナスであった。被告竹川清は、右のとおり原告裕美が発熱していることと、自分の診察によればナッケンシュターレ(項部強直)プラスマイナスであることとを根拠に、原告裕美の示す右症状が肺炎に起因する可能性があると考え、直ちに患者を恢復器(保育器)に入れ、酸素吸入・保温管理をするとともに、連鎖球菌・肺炎球菌等のグラム陽性球菌に対して抗菌作用のある抗生物質リンコシン三〇〇ミリグラム、解熱剤ネオスルピン一アンプル及び抗ヒスタミン剤ベナロン(副作用として催眠作用がある。)一アンプルを投与した。原告裕美は、体温が午後三時には37.8度、午後六時には37.0度、午後九時には37.1度に下がった。被告竹川清は、原告裕美が午後一時にはミルク一二〇cc、午後四時三〇分にミルク五〇ccを飲む程の状態になったので、髄膜炎を疑うべき症状がないと考え、ルンバール検査は実施しなかった。

被告竹川清は、右認定事実に加え、原告裕美がぐったりしており、顔面蒼白、鼻呼吸、呼吸困難の様子であり、脈が早くて弱く、口唇真白、身体が冷たくて反応がなく、髄膜刺激症状陰性で、危篤状態であったこと、そこで、被告竹川清が直ちに原告裕美を恢復器(保育器)に入れ、酸素吸入・保温管理を行うなどの措置を執り、その結果原告裕美がようやく危篤状態を脱し、一命を取り留めたこと、以上のとおり主張し、被告竹川清本人及び証人恩田幸江の供述中には右主張に副う部分がある。

しかし、原告裕美が同日都立墨東病院から転院してきたことは既に述べたとおりであるところ、右の経緯において原告裕美が協和病院に到着した時点で被告竹川清主張のとおりの重大な症状であったとすれば、その症状は原告裕美のカルテ等に当然記載されてしかるべきである。ところが<証拠>をはじめとして、協和病院のカルテ(甲第二号証の一ないし一三、乙第五号証、第六号証の一ないし一〇)、看護日誌(甲第二号証の一四ないし一九)又は病棟日誌(乙第一号証の一、二)等原告裕美の診療に関する記録を精査しても、被告竹川清主張のように原告裕美が昭和五三年二月一五日にぐったりしており、顔面蒼白、鼻呼吸、呼吸困難の様子であり、脈が早くて弱く、口唇真白、身体が冷たくて反応がなく、危篤状態であったことを認めるに足りる記載はなく、右カルテ(乙第五号証、第六号証の七)に「ナッケンシュターレ(項部強直)プラスマイナス、膝蓋反射弱、熱、悪寒、嘔心・嘔吐マイナス」との記載があることと対比すると、奇異な観のあることを否定することができない。右のとおり、協和病院のカルテ等に被告竹川清主張の原告裕美の症状の記載がなく、他方、前掲丙第一号証の三及び証人村田三紗子の証言によれば、協和病院に転送される前に原告裕美が都立墨東病院において村田三紗子医師の診察を受けたときの原告裕美の症状については、顔面蒼白であったことがなく、呼吸・脈拍についても特に異状がなく、一般状態は悪くなかったこと、保育器に入れなければならないような状態ではなく、入院させるためのベッドさえ確保することができれば直ちにルンバール検査を実施することが可能な状態であったこと、右のとおり認められるのであって(右認定を覆すに足りる証拠はない。)、以上の各事実に照らすときは、被告竹川清及び証人恩田幸江の前記供述部分はたやすく採用することができない。他に、被告竹川清の前記主張を認めるに足りる証拠はない。

(二)  同月一六日

原告裕美の体温は、午前一時、午前七時及び午後六時の各検温時において36.2度、37.4度、35.9度と低くなった。しかし、原告裕美の症状として、四肢を活発に動かすものの、首を左に向けたまま動かさないという点が気付かれた。被告竹川清は、同日正午ころの院長回診の際と午後四時三〇分ころと午後八時とに原告裕美を診察し、午後八時の診察の際には看護婦から右の症状についても報告を受けたが、髄膜炎を示す症状ではないものと考え、前日に引き続いてのリンコシン及びネオスルピンの投与と恢復器(保育器)の酸素の撤去とを指示したにとどまった。また、被告竹川清の診察に先立ち、当時非常勤で協和病院に勤務していた産婦人科の別所俊夫医師が午前中に原告裕美を診察したが、その診察の結果によれば、心臓・肺とも異常がなく、原告裕美の瞳孔反射良好というものであった。ところで、右別所医師は、専門が産婦人科であったため、髄膜炎についての一般的知識は有していたものの、髄膜炎の診療を行った経験に乏しく、乳児のナッケンシュターレ(項部強直)を的確に把握するだけの十分な臨床経験を有していなかった。そのため、同月一五日において村田医師が既にナッケンシュターレ(項部強直)プラスであると判定し、被告竹川清ですらナッケンシュターレ(項部強直)プラスマイナスであると認識していた原告裕美について、そのナッケンシュターレ(項部強直)がマイナスであると判断してしまった。被告竹川清は、原告裕美の発熱がなくなり、食欲もあり、格別髄膜炎を疑わせる症状もないものと考え、しばらく経過を見ることとした。

証人恩田幸江、証人別所俊夫及び被告竹川清の各供述中には右認定に反する部分があるが、原告裕美のナッケンシュターレ(項部強直)がプラスマイナスからマイナスに変化したとすれば、重要な症状の変化を示すものというべきであるから、髄膜炎の診療に当たる医師としては当然自ら右事実の有無を確認し、その結果をカルテに記載すべきである。しかし、同日のカルテには、前記のとおり別所医師の診察の結果の記載があるにもかかわらず、被告竹川清自身が原告裕美のナッケンシュターレ(項部強直)をどのように認識したかについての記載を含め、被告竹川清自身の診察の結果を示すべき記載が全くなく、被告竹川清が前日ナッケンシュターレ(項部強直)プラスマイナスと認識した原告裕美の項部の状態自体について、髄膜刺激症状が軽快し、その結果としてナッケンシュターレ(項部強直)マイナスとなったことを裏付けるべき証拠がないといわざるを得ない。結局、前記認定に反する部分は、1で認定した事実及び前掲各証拠に照らしてたやすく採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  同月一七日

原告裕美は、相変らず首を左に向けたまま動かさないという状態であった。また、原告裕美の体温は、当日午前七時ころの検温では37.2度であったものの、午前一一時四五分の検温では38.1度に達していた。被告竹川清は、同日午前一一時ころ原告裕美を診察したが、その時点で原告裕美の体温を測らず、午前一一時四五分の右検温もまだ実施されていなかったため、原告裕美が発熱しているか否かを確認せず、前日の体温の推移とミルクの摂取の事実のみを念頭に置いて、原告裕美の一般状態が良好になっており、リンコシン投与の効果があったと考えた。そのため、被告竹川清は、原告裕美の診察の結果ナッケンシュターレ(項部強直)の症状を否定しきれないうえ、まだ原告裕美の同月一二日以降の発熱の理由が不明であることと、首を左に向けたまま動かさないという原告裕美の症状とに注目しながら(既に前日から協和病院の看護婦が右症状に気付いており、被告竹川清自身も前日右の点についての報告を受けていたことは既に述べたとおりである。)、原告裕美の胸がゼイゼイいっていること及び原告裕美の一般状態がリンコシンの投与により良好になったと考えていたことから、髄膜炎の疑いはほとんど消失したものと速断し、右各症状の原因として原告裕美が肺炎に罹病していることと原告裕美の頸部の関節に異常がある可能性とを考え、引き続きリンコシンを投与すること(被告竹川清は、解熱剤ネオスルピンについては原告裕美が平熱に戻っていると考えていたため、投与を指示しなかった。)と胸部と頸部とのレントゲン撮影とを指示したにとどまり、ルンバール検査の実施を考えなかった。レントゲン撮影を実施する前に原告裕美の体温が測られたが、既に述べたとおり38.1度という高熱の状態であった。午後零時一五分レントゲン撮影が施行された。その後、原告裕美の体温が、午後二時38.7度、午後六時39.6度にまで上昇したので、前前日及び前日に引き続いて解熱剤ネオスルピンが投与され、更にアイスノンも使用された。右解熱剤の投与及びアイスノンの使用により、原告裕美の体温は、午後六時三五分38.4度、午後九時36.4度とようやく下がった。レントゲン写真は遅くとも同日夜までには完成していたが、被告竹川清は、急いでレントゲン写真を調べる必要がないと考えていたため、翌日午後までレントゲン写真を見なかった。

被告竹川清は、右認定事実中同日の原告裕美の症状としてナッケンシュターレ(項部強直)が否定できなかったとの部分を争い、ナッケンシュターレ(項部強直)マイナスであったと主張し、被告竹川清本人の供述中には右主張に副う部分及び原告裕美の一般状態が良好であったとの部分がある。

しかし、前掲乙第六号証の七中同月一七日の記載部分は、字体からすれば「Nackenstarre」とのみ記載があると見るべきであり、ナッケンシュターレ(項部強直)マイナスという記載があると認めることはできず、被告竹川清の右供述部分を裏付けるべきカルテの記載はなんら存しないというべきである。さらに、被告竹川清の右供述部分は別所医師のカルテの記載部分(前掲乙第六号証の七)を根拠にしているものであると考えられるところ、右記載部分についてその証明力が不十分であり、その記載内容どおりの事実を認めることができないことは既に述べたとおりである。また、原告裕美の体温について、被告竹川清が同月一五日及び一六日に解熱剤ネオスルピンを投与し、同月一七日の診察の際には原告裕美が平熱に戻っていると考えていたため、投与を指示しなかったこと、しかし、実際にはレントゲン撮影を実施する前の検温によって38.1度という高熱を示し、その後も原告裕美の体温が、午後二時38.7度、午後六時39.6度にまで上昇したので、前前日及び前日に引き続いて解熱剤ネオスルピンが投与され、更にアイスノンも使用されたこと、右解熱剤の投与及びアイスノンの使用により、原告裕美の体温が、午後六時三五分38.4度、午後九時36.4度とようやく下がったこと、以上の事実についてはこれを覆すに足りる証拠がないのであって、右各事実に加え、後述のとおり原告裕美が協和病院に入院中同月一九日まで連日リンコシンのほか解熱剤ネオスルピンが投与されていたこと、それにもかかわらず同月一七日のみならず同月一九日にも原告裕美が高熱を発するなど、高熱状態と解熱状態とを繰り返していたことの各事実に基づいて考えると、原告裕美の体温が下がったのは、協和病院の入院期間中解熱剤の投与とアイスノンの使用によって一時的に解熱したに過ぎないことが認められ(被告竹川清本人の供述中右認定に反する部分は採用することができない。)、原告裕美が協和病院入院中に罹病していた疾病の起炎菌が被告竹川清の投与したリンコシンに高感度の感受性を示したことを認めるに足りる証拠はないといわざるを得ない。被告竹川清本人の供述中前記認定に反する部分は採用することができない。

(四)  同月一八日(土曜日)

原告裕美は、相変らず首を左に向けたまま動かさなかった。原告裕美が頭を動かすと大声で泣くという状態であることは、協和病院の看護婦も同日午前中にはっきりと認識するに至った。原告裕美の症状は、午後二時の時点では体温が三六度台であり、食欲も普通であった。被告竹川清は、同日午後になってから原告裕美の胸部及び頭部のレントゲン写真を検討したが、肺、頭部及び頸椎等に格別異状を認めず、原告裕美が肺炎に罹病している可能性は否定せざるを得なくなった。被告竹川清は、念のためルンバール検査を実施する必要があると考えた。

(五)  同月一九日

原告裕美は、同月一九日午前零時ころには体温が37.9度ないし38.1度に上がり、以後発熱したまま寝つけずにぐずぐずして泣く状態が続いていた。しかし、協和病院の看護婦は、アイスノンの使用のほかは原告裕美に対して格別の処置を執らなかった。原告安山都代子は、午前五時二〇分ころ原告裕美の頭頂部にこぶ状のものが出ていることに気付き、直ちに看護婦に右事実を告げ、医師を呼んでくれるよう求めた。当直の看護婦も原告裕美の頭頂部に鶏卵大の腫瘍があると認めた。その後当直の大和医師が来て原告裕美を診察したが、ルンバール検査を実施しなかった。原告裕美の右症状から不安にかられた原告安山都代子は、同日午前中に原告裕美の見舞に訪れた知人の話を契機に、協和病院から外出して蓮田医師を訪れ、同医師の紹介により翌二〇日に賛育会病院(原告安山都代子はそれまで賛育会病院で診察を受けたことがなく、もちろん入院して出産した事実もなかった。)に原告裕美を入院させることができるようにする手筈を整えて、同日午後協和病院に戻った。被告竹川清は、一九日に看護婦から連絡を受けて自宅から協和病院に赴き、原告裕美を診察し、大泉門の膨隆を認めるとともに、ナッケンシュターレ(項部強直)ツープラスであると認識し、発熱の事実と併せて考えると、髄膜炎に間違いないと診断したが、原告安山都代子が原告裕美を転院させようとしていることを知ると、転院先に対する紹介状を書いただけで、ルンバール検査を実施することなく帰宅してしまった。同日、原告裕美の体温が三九度まで上がった際、看護婦が当直の医師に右の事実を連絡したが、右医師は、ネオスルピン、リンコシンのほかセファチオンの投与を指示したのみで、ルンバール検査を実施しなかった。

(六)  同月二〇日以降

原告裕美は、同月二〇日午前八時一〇分ころ賛育会病院に転院した。

賛育会病院では、平川浩一医師が、同月二〇日の入院時に原告裕美を診察し、首が非常に固くて手で曲げようとしても曲らない状態であり、ナッケンシュターレ(項部強直)としてはスリープラスであること、大泉門が著明に膨隆していること、右膝蓋腱反射が異常に昂進していること及びケルニッヒ症状(患者の両下肢を持ち上げて胸腹部に近づけると苦痛の表情を示し、反射的に下肢が膝関節で屈折する現象をいう。)が左右とも認められることなどから、原告裕美が化膿性髄膜炎に罹病していることはまず間違いないものと判断し、かつ、髄膜炎の症状としては最高度に進行しているものと認めた。同医師は、原告裕美に対して直ちにルンバール検査を実施して、髄液所見からも化膿性髄膜炎であるものと診断するとともに、原告裕美の全身状態が悪いため、応急処置としてソリタT、リンゲル(いずれも輸液)の点滴を行ない、起炎菌の判明前ではあっても抗生物質としてケフリン、ビクシリン及びゲンタシンの三剤を投与した。その後同月二二日までに原告裕美が化膿性髄膜炎に罹病していることと細菌感受性検査の結果既に投与を開始していた前記の三剤が起炎菌に対して感受性が高いことが判明したので、平川浩一医師は、引き続き前記の三剤を投与するなどの治療に努めた。同月二五日には、起炎菌がインフルエンザ桿菌であることが判明した。右治療の結果原告裕美の症状は次第に軽快し、白血球も減少して、昭和五三年四月八日賛育会病院を退院した。原告裕美は、退院後ミルクを飲まず、不機嫌で泣き続けるという症状が見られ、同月一三日髄膜炎の再発又は高張性脱水症の疑いで再度賛育会病院に入院し、平川浩一医師の診察及び検査を受けた。右検査の結果、化膿性髄膜炎の再発の疑いが払拭されたので、原告裕美は、同月一七日、賛育会病院を退院した。

(七)  原告裕美の後遺症

その後原告裕美には全身を痙攣させる発作があり、昭和五三年一一月東京女子医科大学付属病院において化膿性髄膜炎による脳障害を原因とする点頭てんかんであるとの診断を受け、同年一二月二三日から昭和五四年三月八日まで同病院小児科に入院し、治療を受け、強度の発作は押さえることができたものの、難治性てんかん(点頭てんかんの既往、強直発作)、知能遅滞(白痴)及び痙性四肢麻痺の重度脳障害の後遺症を残した。原告裕美は、東京女子医科大学付属病院において、昭和五四年一二月六日、右重度脳障害につき治癒する見込みは全くない旨の診断を受けた。

三被告竹川清の責任について

1  債務不履行に基づく損害賠償責任について

(一)  <証拠>を併せて考えれば、次の事実を認めることができる。

化膿性髄膜炎は、化膿菌によって起こる髄膜の炎症で、起炎菌には、インフルエンザ桿菌・大腸菌・赤痢菌群当のグラム陰性桿菌、グラム陰性球菌、グラム陰性短球菌、グラム陽性菌、肺炎双球菌・ブドウ球菌等のグラム陽性球菌のように様々のものがある。重篤な神経疾患であり、治療が遅れれば死亡率も高く、点頭てんかん、知能障害、運動障害、視力障害、けいれん等の後遺症がある。化膿性髄膜炎の症状としては、発熱、悪心、嘔吐、頭痛、項部強直、ケルニッヒ症状、大泉門膨隆(乳児の場合)、膝蓋腱反射の昂進、けいれん等があるが、右各症状の発現は、患者の年齢、病勢の進行の程度によって異なる。小児、殊に新生児の髄膜炎は、症状が多種多様で非特異的で、診断が難しく、発熱も不定で、食欲不振もないのに、嘔吐したり、ぐったりしたり、興奮状態になったりする。右のとおり化膿性髄膜炎は細菌性の疾患であるから、原因療法が相当程度可能であり、早期に起炎菌に高度の感受性のある抗生物質を投与することにより後遺症を残さずに治癒する可能性が高い一方、小児、殊に新生児の髄膜炎は、特徴的な症状に乏しく、右症状を待っていては手後れになるため、早期に診断を行うことが肝要である。その診断にはルンバール検査の実施による髄液所見、菌の培養による起炎菌の決定が重要である。化膿性髄膜炎の起炎菌に種々のものがあることは既に述べたとおりであり、起炎菌の種類によって抗生物質に対する感受性が異なることと、起炎菌の抽出前に抗生物質を投与すれば起炎菌の決定及び抗生物質の感受性検査の支障となるという事情から、化膿性髄膜炎の疑いのある場合の治療としては、まずルンバール検査を実施して起炎菌を抽出し、抽出した菌についてその決定を行う一方、右菌に対して感受性のある抗生物質を検査して、十分な感受性のある抗生物質を使用することが基本となるが、迅速に治療を行う必要があるため、右のとおりまずルンバール検査を実施して菌の抽出を行った時点で、その後の感受性検査の結果の判明を待つことなく、直ちに抗生物質の投与を行うべきであり、しかも、感受性の確率の増大のため二剤併用療法を行う必要がある。このように化膿性髄膜炎の治療には一刻を争う早期診断が必要であるのに、小児、殊に新生児の髄膜炎は、特徴的な症状に乏しいため、診療を行う医師がルンバール検査の実施による髄液採取を怠り、適切な治療の開始が遅れて後遺症を残すことが稀ではない。

右に述べたことは、昭和五三年二月当時、小児科医の一般的な文献に記載され、小児科医にとって当然承知しておくべき一般的な知見であった。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)二で認定した事実によれば、被告竹川清は、昭和五三年二月一五日の原告裕美の入院時において、村田三紗子医師の依頼状により、「原告裕美が同月一四日に松江診療所(渡辺医師)の紹介で嘔吐と発熱とを主訴として都立墨東病院に来院したこと、同月一四日には髄膜炎を疑わせる所見がなく抗生剤の使用を見合わせたこと、原告裕美が同月一五日都立墨東病院に再来し、髄膜炎と思われる旨診断したこと、都立墨東病院が満床のため入院させることができないこと、検査は何もしていないこと」、以上のとおりの各事実の告知を受けたこと、すなわち、村田三紗子医師の右依頼状には、簡潔な表現ではあるが、原告裕美が都立墨東病院に来院するまでに既に嘔吐と発熱との症状があり、一般の開業医が重病を慮って都立墨東病院に転送したものであること、都立墨東病院の医師の診断では、同月一四日には髄膜炎を疑わせる所見がなかったものの、同月一五日にはその所見が認められ、髄膜炎の疑いがあると診断したことの各事実が明瞭に記載されており、小児科の医師が虚心に右依頼状を読めば、二次病院であり、当該地域において診療水準の高さに定評のある都立墨東病院の担当医師(村田三紗子医師)が、原告裕美に髄膜炎の疑いがあると診断したにもかかわらず、右のような疑いのある場合に小児科の医師として当然に行うべきルンバール検査の実施を都立墨東病院の満床のために実施できなかったこと、したがって、被告竹川清に右検査の実施をはじめとする髄膜炎に対する適切な診療行為を行うことを依頼していることが明らかであったというべきであり、被告竹川清も当然右の内容のように理解し、右各事実を知ったのであって、被告竹川清は、更に原告安山都代子の問診により、原告裕美が同月一二日から発熱し、渡辺医師等の診療を受けたものの熱が下がらなかったことを知り、原告裕美を診察した結果、体温が38.4度あり、ナッケンシュターレ(項部強直)プラスマイナス、膝蓋反射が弱いと診たのであるから、以後の原告裕美に対する診療においては髄膜炎の疑いを常に念頭に置き、項部強直の有無・程度、大泉門緊満・膨隆の事実の有無・程度、体温の推移、一般状態の経過等に十分留意し、その症状の変化に迅速に対応することのできるような診療体制を敷き、その下で診療を行うべき義務を負ったものと解すべきである。したがって、被告竹川清の原告裕美に対する以後の診療行為が小児科の医師としての注意義務を果たしたものであるか否かを判断するに当たっては、原告裕美の入院時において被告竹川清の認識していた各事実に基づく右義務が履行されているか否かが特に問題となる。

まず、原告らは、被告竹川清が同月一五日の入院当日又は同月一六日にルンバール検査を実施すべきであったと主張する。二で認定した事実に基づいて考えると、ルンバール検査の十分な臨床経験を積んでいる小児科の医師が診療に当たったのであれば、右いずれかの日に躊躇することなくルンバール検査を実施したであろうとの感を禁じえない(右両日における原告裕美の容体がルンバール検査の実施に耐えられないようなものでなかったことは、既に認定した事実によって明らかである。)し、被告竹川清が村田医師の前記依頼状に記載された内容を認識しながら、なお髄膜炎の疑いが低いと判断するだけの十分な根拠があったのか否かについては、被告竹川清がナッケンシュターレ(項部強直)プラスマイナスと診た事実を考慮しても、疑問の余地はなしとしない。しかし、同月一五日の措置については、資格を有する医師が、自分の診察の結果に照らし、入院時の症状等のみでは情報が不十分であると考えて、自己の責任においてとりあえず経過を見ることとしたのであるから、右判断自体は医師の裁量に属する行為として尊重されるべきである。また、同月一六日についても、その時点で原告裕美の体温が一旦概ね平熱に戻り、原告裕美がミルクを摂取するなど一般状態が良くなっていたかのような外形の存していた事実に照らすと、同日にはルンバール検査を実施しないこととした措置についても医師の裁量に属するべきものというべきである。すなわち、被告竹川清が右両日にルンバール検査を実施せず抗生物質及び解熱剤等の投与程度でしばらく原告裕美の様子を見ることと判断したことが、医師としての裁量権を逸脱するものとして違法なものであるとまで断ずることはできず、原告らの右主張は理由がない。

次に、同月一七日の時点における被告竹川清の診療上の義務内容について判断する。二で認定した事実によれば、同月一五日に被告竹川清が認識していた事実に加え、原告裕美のレントゲン写真の結果及び同月一七日の再度の発熱の事実により、原告裕美が髄膜炎に罹病しているのではないかとの合理的な疑いがあり、かつ、右疑いを否定するに足りるだけの具体的な事実が存しなかったことが明らかであったというべきであるから、原告裕美の診療を担当する医師としては、右の事実を踏まえ、原告裕美の罹病している疾病の起炎菌がリンコシンに高度の感受性を示しておらず、結果的には右のとおり合理的な疑いのある髄膜炎について有効な治療をせずに約三日間を過してしまったものと認識し、その結果髄膜炎の特性に鑑みて右時点では急を要する事態に至っていることを直視すべきであったというべきである。したがって、右の状況における小児科医としては、直ちに原告裕美に対しルンバール検査を実施するとともに、その結果を待つことなく直ちに化膿性髄膜炎を想定してリンコシンとは別の抗生物質を複数並行使用するなどの措置を執るべき義務があったものというべきである(前記認定事実によれば、遅くとも同月一八日午後二時すぎの時点では、被告竹川清は、レントゲン写真の検討の結果により、原告裕美が肺炎に罹病しているとの仮説が正しくなかったことを認識するとともに、前日の原告裕美の発熱状況を知り、入院当日の発熱と併せて考えて、その原因を再検討せざるを得ない状況に置かれていたといわざるを得ないのであって、被告竹川清自身も同月一八日の時点では原告裕美が髄膜炎に罹病しているものと考え、その緊急性についての認識は別として、ルンバール検査を実施する必要を認めたことを自認しているというべきである)。しかして、協和病院入院以来の原告裕美の体温の推移、とりわけ同月一七日の再度の発熱とレントゲン写真とは、いずれも協和病院内部としては既に同月一七日午後六時の時点でレントゲン撮影及び検温の実施により入手済みであったといわざるを得ず、原告裕美の主治医である被告竹川清自身が直ちに右各情報を入手する手筈が整えられていなかったために、約丸一日の遅延を来したことを否定することができない。しかも、被告竹川清本人の供述どおりに、被告竹川清が同月一八日の右判断に達した時点で、ルンバール検査の翌日の実施を予定していたとしても、同月一八日が土曜日の午後であるために右検査の補助及びその後の看護に当たるべき者の確保が十分ではないという専ら協和病院内部の事情に過ぎない理由でルンバール検査の実施を見合わせたとすれば、結局更に十数時間後に原告裕美に大泉門の膨隆が認められるまでルンバール検査を実施しないままいたずらに時間のみが経過した事実は動かし難いこととなるといわざるを得ない。結局被告竹川清は、同月一七日午後六時の時点でレントゲン撮影の結果及び原告裕美の発熱の事実を把握せず、翌日午後まで遅延したことによって、前記の注意義務、すなわち、同月一五日以降の診療の基本方針として、化膿性髄膜炎の可能性を常に念頭に置き、項部強直の有無・程度、大泉門緊満・膨隆の事実の有無・程度、体温の推移、一般状態の経過等に細心の注意を払い、その症状の変化に迅速に対応することのできるような診療体制の下で診療を行うべき義務に違反したものといわなければならない。

したがって、被告竹川清は、原告裕美に対し本件第二次診療契約上の債務の不履行による損害賠償責任を免れない。

2  不法行為による損害賠償責任について

被告竹川清が前記の経緯により原告裕美に対して診療行為を行うこととなったことからすれば、被告竹川清は、本件第二次診療契約に基づかなくても、原告裕美に対して1で述べたところと同様の診療上の注意義務を負ったものというべきである。しかして、被告竹川清が右注意義務に違反したことは、1で述べたことと同一である。

四被告東京都の責任について

前記認定の事実に、<証拠>を併せて考えれば、ルンバール検査実施により髄圧が変化するため、検査終了後は二時間程度患者の頭を低くして絶対安静にする必要があること、村田三紗子医師が原告裕美を診察した昭和五三年二月一五日当日は、都立墨東病院の小児科のベッドが満床であり、村田三紗子医師の努力にもかかわらず、原告裕美を受け入れることができなかったこと、同病院の感染症科病棟は、伝染予防法に基づく併設隔離病棟であって、法定伝染病患者を収容するところであり、法定伝染病以外の患者を収容することは適当ではないこと、原告裕美のように生後四箇月の乳児を他の診療科の病棟に入院させることは、施設及び看護実施の両面から適当ではなく、同病院では慣例として右のような措置を行わないこととされていたこと、村田三紗子医師が原告裕美を診察した昭和五三年二月一五日当時、原告裕美の髄膜炎は、まだ初期の段階にあり、急性のものではなく、徐々に進行していたものであったこと、そこで、村田三紗子医師は、小児科医がいて入院可能な被告竹川清の協和病院においてルンバール検査を実施することとしたほうが相当であると判断したものであること、ルンバール検査を実施する前に広範囲の細菌に効果のある抗生物質をあらかじめ投与することは、その後に行うべきルンバール検査による起炎菌の検出を妨げることとなるから、村田三紗子医師は、なんらの投薬をすることなく協和病院に転院させたものであること、本件疾病である髄膜炎は、診断を早く、かつ、確実に行い、診断確定後に適切な抗生剤を投与すれば足り、十分な臨床経験ある小児科医師にとっては特段困難な疾患ではなく、むしろ一般的な疾患であって、小児科を専門とする医師のいる病院で十分な治療を行うことのできるものであること、村田三紗子医師は、小児科外来の看護婦に転院先を捜させた際、あらかじめ小児科医師のいることを確認したうえで、患者が生後四箇月の乳児であること及び髄膜炎の疑いがあることを告げさせており、さらに、協和病院に転院させるに際しては、原告裕美が化膿性髄膜炎に罹病している疑いがあること、都立墨東病院が満床のため転院の措置を執ったものであること、検査は何もしていないこと、以上の各点を明記した依頼状を原告安山都代子に持たせていること、当時被告竹川清が小児科を診療科名に掲げ、長年の経験を有する小児科医であることを標榜していたこと、以上の事実が認められ、被告竹川清本人の供述中右認定に反する部分は前記認定の事実及び前掲証拠に照らしてたやすく採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実に基づいて考えると、村田三紗子医師に原告主張の義務があったと認めることはできず、村田三紗子医師がルンバール検査を実施せずに原告裕美を協和病院に転送した措置が被告東京都の本件第一次診療契約上の債務不履行責任又は不法行為による損害賠償責任を構成することはないというべきである(ただし、本件のような事件の再発を防止するためには、都立墨東病院のような二次救急医療機関が、髄膜炎の疑いのある患者について、ルンバール検査実施の必要性を認めながら、満床のため右検査を実施することができず、他の医療機関に転送せざるを得ない場合には、髄膜炎の診療について当該医療機関と同等以上の医療水準を有する病院に転送することを原則とするのが相当であり、右のような転送を可能ならしめる制度的な措置が執られることが望ましいといえよう。)。

よって、原告らの被告東京都に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

五因果関係について

二及び三の1(一)ので認定した事実に、<証拠>を併せて考えれば、化膿性髄膜炎は、重篤な神経疾患であり、治療が遅れれば死亡率も高く、点頭てんかん、知能障害、運動障害、視力障害、けいれん等の後遺症があること、細菌性の疾患であるから、原因療法が相当程度可能であり、早期に起炎菌に感受性のある抗生物質を投与することにより十分な治療結果を期待することができること、このように化膿性髄膜炎の治療には一刻を争う早期診断が必要であるのに、小児、殊に新生児の髄膜炎は、特徴的な症状に乏しいため、診療を行う医師がルンバール検査の実施による髄液採取を怠り、適切な治療の開始が遅れて後遺症を残すことが稀ではないこと、原告裕美は昭和五三年二月一五日の協和病院入院時に既に化膿性髄膜炎に罹病していたが、まだ初期の段階にあったこと、原告裕美の罹病していた右化膿性髄膜炎は、協和病院入院期間中に進行し、同月一九日未明には大泉門の著明な膨隆を認めるという状態にまで至り、同月二〇日に賛育会病院の平川医師が原告裕美を診察した時点では、最悪の状況といえるほど病勢が最高度に進行していたこと、原告裕美の入院期間中に被告竹川清の行った診療行為で右化膿性髄膜炎に直接効果のあった措置は何もなく、ただ解熱剤の連日の投与により原告裕美の発熱を一時的に押さえ、ある程度食欲を回復させたにとどまること、原告裕美には前記のとおり右化膿性髄膜炎の後遺症があること、以上の事実が認められ、これらの事実に基づいて考えると、被告竹川清の前記の注意義務違反と原告裕美の前記後遺症との間には相当因果関係があるものと推認することができる。被告竹川清の供述中推認に反する部分は前掲各事実及び証拠に照らしてたやすく採用することができず、他に右推認を動揺させるに足りる証拠はない。

六被告竹川清の抗弁について

1  原告安山都代子らの有過失の主張について

被告竹川清は、昭和五三年二月一九日朝原告安山都代子から原告裕美を転院させる旨の申出を受け、直ちに転院先宛の紹介状を作成し、原告安山都代子に対し、右紹介状を交付して速やかに転院するよう告知したにもかかわらず、原告安山都代子らが、丸一日も転院しないまま協和病院に原告裕美を在院させ、同月二〇日になって賛育会病院に転院したことに過失があり、被告竹川清が原告安山都代子から転院の申出を受けてから同月二〇日までの間に診療行為を行うことは不可能であったとして、被告竹川清にはなんらの注意義務違反がないと主張する。しかし、同月一九日より前の時点において既に被告竹川清の診療行為に注意義務違反があったことは前示のとおりであるから、被告竹川清の右主張は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないといわざるを得ない。

2  過失相殺の主張について

被告竹川清は、1で引用した事実の存することを根拠に過失相殺を主張するが、二で認定した事実によれば、原告安山都代子は、賛育会病院から昭和五三年二月二〇日に原告裕美を同病院に転院させてよい旨の了解を得ていて、そのとおりに実行したのであるから、原告安山都代子の右転院措置に落度はないといわなければならない。したがって、被告竹川清の過失相殺の抗弁も理由がない。

七損害について

1  原告裕美

(一)  逸失利益

金二九三三万五二〇九円

二で認定した事実によれば、原告裕美は、本件髄膜炎により重度脳障害の後遺症があり、労働能力を一〇〇パーセント喪失したものと認めるのが相当である。そして、昭和六一年度の労働省調査賃金構造基本統計調査報告(賃金センサス)第一巻第一表による産業計・企業規模計・学歴計の女子労働者の全年齢平均賃金年収額二三八万五五〇〇円を基礎にし、ライプニッツ式により年五分の割合による中間利息を控除するため、右年収額に一〇歳に適用するライプニッツ係数12.2973を乗じて高校卒業後満一八歳から満六七歳までの就労期間中の逸失利益の現価額を算定すると、右現価額は、金二九三三万五二〇九円(円未満切捨て)となる。

(二)  付添看護費

金五七三九万八八四一円

原告安山都代子本人尋問の結果並びにこれにより昭和五六年四月当時の原告裕美の生活状況及び自宅内の状況を示す写真であると認められる甲第二五号証の一ないし二四によれば、原告裕美が本件髄膜炎罹病以来食事、排泄、入浴等の日常生活の起居動作全般にわたり、家人等の付添介護を必要とする状態にあること、右付添介護は、これを行うのに多大の労苦を伴うものであり、殊に食事については飲食物の嚥下に難があるため母親である原告安山都代子以外の者が十分な世話をすることが困難であり、家政婦その他職業的付添婦が、所定の費用の支払を受けることにより、通常の業務として原告安山都代子に代わって継続的に長期間に渡って右付添介護を行うことは、これを期待することができないこと、原告裕美の右状態の改善の見込みがないこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。しかして、右認定事実に、原本の存在及び成立に争いのない甲第五六ないし第五九号証並びに弁論の全趣旨を併せて考えると、昭和五三年及び昭和六〇年における看護補助者の一日当たりの賃金が、それぞれ四三〇〇円程度(泊込みの場合六三〇〇円程度)及び六〇〇〇円程度(泊込み場合七〇〇〇円ないし八〇〇〇円程度)であり、本件では、近親者が付添看護を行うことを理由に原告裕美の付添看護費が右各一日当たりの賃金を下回ることを相当とすべき事情は存しないというべきであるから、原告裕美が前記状態にあることが医師の診断書によって確認された昭和五四年一二月六日以降昭和六三年二月一五日までの二九九四日間分の付添看護費については、一日金五〇〇〇円、合計金一四九七万円、昭和六三年二月一六日以降の付添看護費は、一日金六〇〇〇円、右同日から原告裕美の満一〇歳の平均余命である七一年の間の右の割合による付添看護費は、年額(三六五日当たり)二一九万円に七一年に対応するライプニッツ係数19.3739を乗じた結果である金四二四二万八八四一円であると認めるのが相当である。

(三)  慰謝料 金二〇〇〇万円

二で認定した原告裕美の本件髄膜炎罹病に至る経緯、罹病以後の知能遅滞、四肢麻痺等の状態その他一切の事情を併せて考えると、原告裕美の受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては、金二〇〇〇万円と認めるのが相当である。

2  原告安山都代子及び原告鶴田幸一

原告裕美の両親である原告安山都代子及び原告鶴田幸一が被告竹川清の不法行為によって受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては、原告安山都代子について金三〇〇万円、原告鶴田幸一について金二〇〇万円と認めるのが相当である。

3  原告らの弁護士費用

本件訴訟の難易度、認容額その他の事情を考慮すると、各原告が負担すべき弁護士費用のうち、本件との間に相当因果関係があり、被告竹川清に請求することのできる金額は、原告裕美について金一〇〇〇万円、原告安山都代子について金三〇万円、原告鶴田幸一について金二〇万円と認めるのが相当である。

八結論

以上の次第であって、原告らの本訴請求は、被告竹川清に対し、原告裕美が債務不履行に基づく損害賠償として損害金合計金一億一六七三万四〇五〇円並びに内金七八〇一万三七二九円に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五五年五月一八日から、残金三八七二万〇三二一円に対する訴え拡張の申立書送達の後である昭和六三年三月三日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告安山都代子が不法行為による損害賠償請求として金三三〇万円及びこれに対する不法行為以後の日である昭和五五年五月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、並びに原告鶴田幸一が不法行為による損害賠償として金二二〇万円及びこれに対する右同日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから認容し、原告らの被告竹川清に対するその余の請求及び被告東京都に対する請求はいずれも理由がないから失当として棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官平手勇治 裁判官高世三郎 裁判官日下部克通)

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